夏休み恒例富士登山
(UPDATE 1997/8/8)

太田家の第5回富士登山の記録

 7/30、天気予報は雨。「31から1にかけて天気がいいようなら富士山に行くので仕事休みます!」の宣言。7/31、富士五湖地方の天気予報は曇りのち晴れ、一時雨か雷雨(降水確率20%)でもって8/1は晴れのち曇り(降水確率20%)とのこと。「富士山がいっぱい」の富士山の天気予報では「晴れ」の一言。カミさんと相談の上、「よし行こう!」の決定を下す。小雨まじりの曇り空の下、一路富士山へ。2合目(2000m)を超えた辺りで雨雲の上に脱出、頂上が眩しく光る。(やったあ大正解!)富士宮口新5合目駐車場(2380m)16:45着、思ったより車は一杯でした(駐車率50%)が、無事登山口の近くに空きを確保。そうそう、5合目近くになるにつれ、富士スカイラインのコーナー(曲がり角)には路上駐車防止用の黄色いバリケードが置いてありました。確かにコーナーに停められちゃうと危ないですよね..皆さんも気をつけて下さい。
17:00
5合目駐車場を出発、新6合(雲海荘、宝永山荘2500m)についた辺りより下から風が吹いてきて、あっという間に雲(霧)の中。ポンチョを被って7合目向かう。
19:00
7合目(3030m)到着。「21:00までに8合目に着いて晩飯にしよう」という提案に全員同意(いやあ皆大きくなった!)19:30を回ると、さすがに暗く(この日は新月)、懐中電灯を取り出そうとしたが、8合目のサーチライトが登山道を照らしているので、「8合目まではいいかな?」と暗い登山道を登る。
20:00
8合目(3200m)到着。ポットのお茶とおにぎりで晩飯をとるが、どんどん冷えてくるので、20:30に出発。懐中電灯で、登山道を照らすと、「やっぱり楽だなあ」と実感。長男が「眠い」と言い始めたが、「気のせいだ、いつもはまだ起きている」と言って登らせる。彼は今回から自分のシュラフまで持っているので結構荷物が大きい。30分程、登ると声に元気が出てきた(もう大丈夫)。いつも泣き言を言う次男は何故かカミさんともくもくと登っている(不思議なほど元気、自分の荷物が皆に比べてかなり小さいことが彼の負担を軽くしているのかもしれない)。直(次男)は1回目のときここでカミさんと待ってたに..
8合目から上の小屋はもう寝静まっていて、発電機の音も聞こえない。あと90分の看板を通過。
21:15
真っ暗の9合目小屋(3400m)を乗り超えると、あと60分の看板、右の闇夜の中に白く大雪渓が光っているのが見えてきた、子供らも「おー」と声を上げている(大丈夫だな、こりゃあ)。
22:00
9合5勺小屋(3550m)、「休憩する?」という問いかけに「登る」の返事(休憩を取ると後がきつくなることが体で理解できたのかもしれない、いっちょ前に、小屋に着いても立って休んでる)、あと30分の看板を見ながらもくもくと歩く。4年前に10歩づつ、休憩を取ったのが懐かしい。
登山道の上にも、下にも誰も見えない。日中だと、上り下りでごった返している所なのに。
昼でも夜でも変わりないのは、なかなか見えてこない頂上の鳥居だ。
22:40
頂上の浅間大社に到着。
動いている人は誰もいない、いままで登ったことのない時間帯だったのですが
この時間は小屋泊りの人たちと夜行日帰りの人たちの狭間のようで、
もし初めての富士登山だったら不安で一杯になってしまう位、寂しい光景でした。
火口の岩だなに4人で横になれる場所を見つけて、シュラフを並べて休息。
この日は新月で、その暗さは、登山の間は良いことはなかったのですが、
横になって空を見上げると、その暗さのおかげで驚くほどの星が煌いていました。
そう、おおげさな表現でなく、1分間に1度は流れ星が見え、20分ほど厭きることなく空を見上げていました。
めったにないことなので、願をかけながら、流れ星を見つけました。
宝くじ当たるだろうか?
子供たちはやはり、疲れたのか5分ももたずにクークー寝息をたててしまいました。
4時を回ると、頂上の人口は途端に増え出し、グーグー寝ていられなくなり目を覚ましました。(でもシュラフからは出ない、顔だけだしてご来光を拝もうとズルイ考え)ちなみに、頂上でのビバークは、もうしません。
あまりにも寒い!今回は風が無かったにもかかわらずやっぱり寒い!
今までの経験からかなりの服を着込んだけどやっぱり寒い!
(多分2度か3度、東京の1月中旬ぐらいを想像して下さい)
おまけに、次男は「落ちる〜」と寝言を言うし(火口の淵の岩だなが気になったらしい)、長男は0:00頃「ない、ない」と言うから「何が」と聞いたら「シュラフ!」という、見たらこのクソ寒い中、チャックが開いて上半身がシュラフから飛び出して寝言を言ってる。
気合入れて暖めたシュラフからその度に這い出し、頂上でグッスリの夢は無残にも砕け散った。
5:10
シュラフから出て、陽当たりの良い場所に荷物を移動して朝食の準備。頂上で寝たのは初めてだったのですが、食欲がなくなり、頭痛もあり、しっかりと高山病の症状。寝ている間に呼吸数が減って、酸素不足になったのでしょうね、小学校5年以来、久しぶりの高山病でした。
家族はどうかというと、長男は僕と同様食欲無し、次男はカミさん同様食欲あり、ってことでヘモグロビンの遺伝状況がよくわかりました。
暑中見舞いのハガキを頂上郵便局より投函ののち(これも恒例になっている)
7:30
下山開始。
これまでは、富士宮口の登りの登山道とブルドーザ道路を使用して下山していたのですが、ブルドーザ道路が立ち入り禁止になった(なんでもブルドーザ道路は私道で怪我をすると大変なのだそうです。で、登山道は県道なんだそうで、こちらは怪我したらなんかそれなりの補償があるそうです。7合目小屋のおじさんの話)のと、登りの人たちとのすれ違い(結構疲れるんですよね、道を譲ったりしてるとリズムが狂ってきて)をさけるため、御殿場口を下山することにしました。今回、その7合目の小屋の人が教えてくれたのですが、砂走りを降りて宝永火口(本当に火口の中)を横切って富士宮口に戻ってくる下山方法があったのです。
宝永火口を横切ったあと、新6合まで登りが30分ほどありますが(2時間下山してきた足には丁度いい位ですよ)快適なコースでした。
11:00
5合目駐車場着。車に向かう途中、「来年で6回目になるけど、それで最後にしようか」と長男に問い掛けたところ「うん、いいよ」との軽い返事。
「おいおい、そんなもんかあ?」
なんか、淋しいですよね、やっと力がついて僕の荷物も減ろうっていうのに..
「やっぱり、7回目も続けようかなあ」とハンドルを握り帰りました。
そう、このページの存続の問題もあるよねえ〜
ってことで、今回の報告を終わります。

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