第32回青梅マラソン 回想(快走)録(UPDATE:1998/2/21)
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話の順序があるので、まだお読みでない方は31回からお読み下さい。

1998年2月11日、レース4日前
建国記念の日、いい天気なので多摩湖サイクリング道路(田無〜東村山、往復20km)にジョギングへ。タイムは2時間10分、30kmにすると3時間15分になるロスタイムいれると結構ギリギリの感じ…(大丈夫かな?)

1998年2月13日、レース3日前
 報知新聞の谷口さんから取材、青梅マラソン当日の報知新聞に載るという。シリーズ「青梅で会おう」で紹介の皆さんは立派な記録を持っている方だけにを最後の太田の3時間台の記録は笑えるが1/3は占めるであろう鈍足ランナーの代表として出たろうじゃない!(勝手に代表になってすいませんが)

1998年2月14日(聖バレンタインデー)、レース1日前
 「チョコをくれるより、僕たちのCDを買って下さい」と言っていたせいかカミさん以外からのチョコはやってこない。しかし今日は暖かい、配送途中のチョコが溶けちゃうではないかといらぬ心配をしているとハート型のお煎餅が届く。「しょうがないなあ、いらないと言っているのに…」(人は弱く、嘘をつく生き物だ/武蔵野詩人)

1998年2月15日、レース当日
「うわあー、やっぱり雪だよお!」カミさんの声で起きる。
んーーー、天気予報大当たり、ここ(武蔵野)でこんなだから青梅はもっと降ってんだろうな。子供達の学園で育てたサケを多摩川に放流する日とダブってしまったので、家族は午後から応援に来ることになった。(僕は遅いので十分間に合う)
三鷹9時2分発の青梅行に乗るつもりだったが、昨年の体育館の混みようを思い出し15分ほど早めに出る。

「雪やコンコン、肩がゴンゴン」
 9時40分河辺駅到着、さらに激しくなった雪の中、河辺小学校へ。小学校の校庭はぬかるんでグチャグチャになってしまっている。生徒たちに申し訳ないなあと思いつつ校庭を横切って、ハガキと交換にゼッケンをもらう。さあ今度は体育館だ!
ここで転んで足でも捻った日にゃ家族に会わす顔がない。抜き足、差し足で体育館へ急ぐ。やっぱり、体育館は行き交う人人人の波。僕もその波に身をゆだねて、肩の波間でクルクル回されながら漂っていく。
流れ着いた先は又もや観覧席の階段の踊り場。しかし膝をかかえて腰掛けるのが精一杯、とても着替えができる状況ではない。昨年同様、男性用更衣室にもかかわらず女性が平然といる。彼女たちは何故女性用更衣室(第2体育館)に行かないのであろうか?(2年越しの疑問となってしまった)
会場係員もやってきて「本日は雪のため大変込み合います、荷物は小さくして下さい!」と呼びかけているが「女性の方はご遠慮下さい」とは言わない。すると近くのおばさんが荷物をまとめて椅子を1つ空けてくれるではないか。ん〜、おばさん今日はいいことあるよ!おかげで気分は晴れ晴れ。

言わなきゃよかった…
 僕の前には年輩のおじさんと同輩くらいのおじさん(おにいさんと言いたいが)。
やさしいおばさんが空けてくれた席を年輩のおじさんに座ってもらい、少し周りに余裕ができる。年輩のおじさんは仙台SMCのシャツに「5989」のゼッケンだ。(ほほう2時間台のお方だなあ)同輩のほうは「8642」いやあ31番違いじゃないか。おじさんに「4989(四苦八苦)じゃなくてよかったですねえ!」と言ったら「そうだねえ、でもその番号の人もいるんだよね」と返事され、そりゃそうだなあとちょっとブルーに。同輩に「番号近いですねえ!」と言うと「いやあ始めてでよく分からないんで」とのお返事。「3時間5分くらいですよね」と言うと「確かその位の時間を書きました、タイム順なんですよね、青梅の坂はきついんですか?」とのご質問。で、おじさんと2人で青梅の坂はゆるいアップダウンが繰り返しあるので行きも帰りも似ていることを説明、僕は更に「21kmポイントの長い急な上り坂を制限時間にクリアできれば僕らは大丈夫ですよ!」などと講釈をたれてしまう。(ふ−ん君はあの昇りを知らんのだねという感じで)
実直そうなスポーツマンの同輩は「なるほど」などと肯いているので又レース終了後にでも会えるかなと思っていたら、僕が体育館に戻った時にはもう彼の荷物は奇麗になくなっているではないか。後日判明したことであるが僕より30分も早く帰ってこられたご様子。「僕らは大丈夫」じゃないって言うの、言わなきゃ良かった。
ちなみにおじさんは僕より5分前に帰ってきたようで、ゼッケンを信用しちゃあいかんよ!

河童の正体を見たり!
スタートまで後20分になったので、トイレに寄って出口へ向かうが、まだ雪は降っているので体育館から出るのに勇気がいる。10kmのレースから帰った人が原田が(ジャンプラージヒルで)計測不能な大ジャンプをしたらしいと教えてくれる。「よっしゃ」と原田の勇気を分けてもらって気温1度の屋外へ。
所定の場所(進歩がないので昨年とまったく同じ位置)まで軽くジョギング。兎に角、体を動かしていないと寒くてしょうがない。師匠の我那覇氏は1グループ前からのスタートだが見当たらない。出掛けに師匠からは電話で「2日前に風邪で注射まで打ったが兎に角青梅に行きます」と連絡を受けている。この雪で出走取り消したかなと思っていると後ろから師匠の声、元気そうである。流石、師匠だ。
アイロン委員会の宮崎氏は僕と同じグループのスタートだがやはり見当たらない。顔を知らないので背中のゼッケンでさがす。おっ、いたいた「8719」!
後ろから「はじめまして太田です…」初対面のご挨拶をひとしきり交わしたところで宮崎氏のいでたちを改めて見直すと河童のご衣裳。この河童は昨年のレースで何度か抜きつ抜かれつしたあの河童ではないか。my有名人の河童が宮崎氏であったことに感激していると「やっぱり目立ちますか?」と言っている。このグループではピカイチの目立ち方である。アイロンのサポート隊にもご挨拶していると「1分前!」の声。

スタート!
 12時、やはり号砲は聞こえない。しかし10秒もしないうちに動いた、今年は早いし綺麗なスタートだ。コース左端を走って、スタート地点通過が5分20秒。昨年よりペースが早いのを気にしつつ、市役所の立体駐車場前を通過。昨年のマーチングバンドのお姉さん達がいないのは雪のせいだろうか?でも沿道には降雪にもめげず応援の人々が旗を振ってくれている。今回の30kmの旅は何が待っているか…

日の丸飛行隊はどうなったんだ!
 そう言えば、日の丸飛行隊はどうなったんだろう、原田の大ジャンプはどうなったんだ?気になってしょうがない。勝沼の交差点で減速した際に、沿道の人にジャンプどうなりました?と聞くと「見てないから知らない!」とのお返事。オリンピックの金メダルより僕らのレースを応援してくれているのだ!
感謝、感謝、頑張りますよおと思いつつ、やっぱり気になる原田の大ジャンプ。

略奪された7人の花嫁
 日向和田のへそまんの駐車場では今年も伊藤会の皆さんが和太鼓で応援してくれてます。次はセントフローリア教会で花嫁さん達の応援だぞ!とそそくさと左に寄って行く(この辺が2回目で慣れているね)と、アラアラ声はすれども姿は見えず…、探すと教会の軒下で手を振っているではないか、流石にそこまで回り道して握手する気にもなれず、今回は手を振り返してお別れ。くそー怨んでやる雪めえ、花嫁を奪った罪は重いぞお〜。

熱気!
 二俣尾の駅を越すと長く急な下り坂になり、車が反対車線に膨らまないように道路中央にセンターポールが立っている。このためコースも片側車線のみとなり、必然的に渋滞が起きる。8kmのプラカードを過ぎたところは丁度この坂の渋滞を上から眺める形になるが、前方を見ると雪の中、ランナー達の息と体から立ち登る熱気がもうもうと立ちこめているではないか!
カメラ持って走れたらなあ…、最高だぜえ!

グレッグ・ファンヘスト
 トップランナーが来た!単独トップだ。ゼッケン3の外国招待選手だ。名前も知らないし、聞こえないかもしれないし、通じないかもしれないけど「ガンバ!」このままゴールまで駆け抜けろ!
3時間ランナーの僕らと一緒に走ってくれた君をこれからも応援するぞ!

お煎餅よ永遠に
 折り返しを1時間33分で通過、昨年往路でトイレを貸していただいた手打ちそば「きり山」の手前、いました!いました!お煎餅のおばさん。雪の中、椅子にパラソルを括り付けて、お煎餅を雪から守るようにして待っていてくれました。(別に僕を待っていたわけではないが)例によってくっつくので左手の手袋を外して、まるまる1枚を貰う。昨年はここからは沿道の接待漬(ノーパンしゃぶしゃぶは無い)にひたるべく手袋はポケットにしまったのだが、煎餅を食べ終わるちょっとの間に手はかじかみ感覚を失う。あわてて手袋を着ける。

家族と酢っぱい手袋がくれた元気
 御岳の駅前でカミさんと子供たちの応援、多摩川から駆けつけての応援になるので沿道の駅ごとに通過予想タイムを渡しておいたのが功を奏した。予想タイムと1分しかズレていないようだ。元気、元気!口の中は梅干し飴と氷砂糖と梅干しが三位一体となっている。梅干し、レモン、みかんと貰ううちに左手の手袋は酢の物のような匂いを発している。そこで昇り坂ではこの匂いを嗅いで気合を入れる走法を考案する。疲れがピークとなった青梅駅前で、予想外に再び家族が待っていてくれた。子供たちが「父さん新聞載ってたよ〜」と例の「青梅で会おう」の報知新聞を広げて応援してくれている。

フィニッシュ
よし、再度気合の入れ直して、うつむき気味の姿勢を立て直しすると肺に酸素が一杯入ってくる。2駅を電車で乗り継いでくる家族と競争だ。東青梅で横の踏み切りを電車が走って行くのが見える。早く着きたいけど、家族が間に合わないと淋しい複雑な心境。結果は僕の負け!フィニッシュ前のコーナーでは「父さ〜ん」と迎えてもらった。めでたし、めでたし。
一般30キロ 男子の部
ゼッケン8673 太田 秀昭
記  録3時間10分27秒
順  位6479位


で、ジャンプどうなったのよう!
フィニッシュ後、完走証とおにぎり、アクエリアスをもらってテントを出てくると号外を持っている人に会う。
   僕:  「ジャンプラージヒルどうなりました?」
号外を持った人:「原田が最長不倒距離を出して銅メダル、船木が金メダルだそうですよ。」
やったああ。
よかったね、みんな頑張ったからね、僕も頑張ったしね…
今回も雪の中にもかかわらず沿道で応援してくれた皆さんのおかげです。ありがとうございました。
抽選に当たればまた、また走ります!

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